母との昔話をちらちら書いたけども
やっぱりもういいかとストップしていました。
母が好きじゃなかった私、
書いたらスッキリすると思ったんだけどな。
でも実際は書いてもスッキリしない。
あのとき小さかった私は
母に分かってもらえなくて
いつもとにかく寂しい毎日を過ごしていました。
母のことを書くことで解放され、自由になるのか?
でもどんなに
母への思いを爆発させたところで
母はもういません。
私がもう手放そう。
そう思って書くことをやめていました。
でも今日、映画を見ましてね。
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』
予告見ただけで泣いた。
シソちゃんに
だまされたと思って観てみて!と言われたものの、
母譲りの感受性の強い私。
戦争ものの映画やドラマ、
絵本や小説などできるだけ避けていました。
※観る前からもう辛くて耐えられないほど。
そこで私は考えたんです。
なんでこんなに
泣くこと、悲しむこと、辛いことから避けるのか。
映画を見終わった直後は平気だったのに、
じわじわと、内容を思い出しては
特攻隊として最後笑顔で飛び立った4人の姿が
フラッシュバックして心苦しくなりました。
なんでここまで引きずるんだろう。
普段、自分に嫌なことがあっても
悲しいことがあっても寝たらほぼ忘れるのに
昔から他の人に起きたこと、出来事はひきずります。
こういうとこ、お母さんにそっくりやん。
私と母は正反対の性格なんですが
とにかく感受性が強い母。
これは似てしまった。
今でも強烈に覚えているのが
母は道で野菜を売っている人のことを
「こんな寒いのに可哀そう。」と言って
早く帰らせてあげたいから
全部の野菜を買ってあげたこと。
子どもだった私は、
道で野菜を売る人が可哀そうなんだって思ったし、
そういう人を見かけたら
助けてあげなさいと母から言われました。
中国に住んでいた時は
本当につらかった。
道のあちこちで手足のない人から
お金をちょうだいと言われたから。
母の口癖はネガティブな言葉が多かったと思います。
天気が悪い日は「雨が降りそうで嫌だ」と言い、
暑い日が続くと「植物が枯れちゃうから悲しい」と言い、
寒い日は「外で働く人が可哀そう」と言った母。
それを聞いて育ったもんだから
私はいまだにこの癖が抜けない。
天気が悪くても雨の音が好き、
暑い日が続いても枯れない植物の生命力、
寒さの中、働く人って逞しくてかっこいい、
同じ景色・状況を見ても
とらえ方は自由なんだってこと。
ポジティブに物事を受け取る人がいることを知ったとき
なんて自分はネガティブだったんだろうとがっかりしました。
今でもネガティブな考え方の癖がついていて
そっちに引っ張られないように気を付けているけど
でもなかなか難しいところ。
とにかく母は弱いものへの感情移入が強くて
例えばスポーツの試合では負けているチームを応援し、
でもそのチームが逆転すると
今度は負けている方(さっきまで勝ってた方)を応援した。
今では私がそうしてる。
天邪鬼だよね。
野良ネコを見かけると
餌を買って来てあげる姿を見たこともある、
でも家に居ついた猫が産んだ子猫をこっそり捨てたのも母だ。
生き物を大事にしろとあんなに言ったのに。
そんな矛盾した母の姿を見て、失望した。
母の優しさは薄っぺらい。
見かけだけでとっても弱い。
最初だけ優しくて続かない、自己満足のよう。
でもそんな母を責めることはできなくて
その思いを伝えることもなく母は死んでしまった。
本当は母の言い分も聞きたかったけど
聞けずに終わってしまったな。
私が19歳の時に47歳で死んだ母、
41歳になった私は
47歳だった母にまだ期待している。
もしかして本当は薄っぺらい優しさじゃなく
母には母の事情があったんじゃないか、
ネガティブな発言を繰り返す母にも
子ども時代、寂しい時間が流れていたんじゃないか。
自分がなんでこんな性格なんだろうって
自身を見つめ直すと
いつも母の顔が浮かんでくるのは
やっぱり母に似てしまったんだろう。
そういうところも
やっぱりそっくりなんだと思う。
感受性の強い母と娘で
いろんな映画や本を共有したかったな。
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