![](https://nonokocarina.com/wp-content/uploads/2023/10/jametlene-reskp-UeYuKotTClc-unsplash-160x90.jpg)
お母さんなんて大嫌い!
そう叫びながら泣く人を見て
母への複雑な思いを持っているのは
私だけじゃないんだなと知り、
それからは母との仲を聞かれたら
母とは折り合いが悪かった、
母のことは苦手だった、
母が嫌いだった、
そんな表現をしていた私。
けど「お母さんなんて嫌い」と認めただけで
私はまだまだ母へ反抗しているだけなんだと気づきました。
40過ぎてもまだ反抗期。
それもぶつけたい母はもうこの世にいない。
この世にまだ母がいたら
過去のつまらない言い合いや
傷つけられた母の言動を責められたでしょうか。
それとも話すことさえ諦めて、
とことん遠くに逃げて絶縁状態だったかもしれない。
父と兄はとっくに
母を美化することに成功し、
「生まれ変わってまた会いに来ないかな」なんて言うほど。
父と兄だって母と決して仲が良かったわけじゃないのに、
(父とは離婚すると毎日のように喧嘩してた)
死んだ途端、
母のいいところだけ思い出せる男達が羨ましいし、
そうできない私のしつこさが嫌になります。
![ののこ](https://nonokocarina.com/wp-content/uploads/2022/02/KakaoTalk_20220127_215739826.jpg)
しつこいところは母にそっくり。
このまま40にもなって
ああしてほしかった、
あんなこと言わないでほしかった、
なんて子どもじみた母への思いを持ち続けて、
50,60歳と生きていくかと思うと
ぞっとします。
いい加減、解放したい。
結婚したら、
子どもができたら、
親がなくなったら、
歳を取ったら、
過去の親への恨みつらみを葬ることができると思ったのに。
そもそもなんでここまで母への憎しみが大きくなったかも
もう分からない。
あのとき20歳だった私、
私はまだ20歳のときの不満げな目で
母を睨んでいる。
そんな姿をそろそろ解放したい。
それが今母となって息子を育てる私にも
20年以上も娘に睨まれ続ける母にも必要。
重い腰をあげて、
やっと今PCに向かえました。
少しずつ振り返って書いて行こうと思います。
![ののこ](https://nonokocarina.com/wp-content/uploads/2022/02/KakaoTalk_20220127_215739826.jpg)
もちろん他のことも書くよ。
気が向いたら書くね。
水仕事の多い母も手が荒れていた。
最後、病室で頭をなでられた時も母の手は乾燥していたのに、
私はクリームを塗ってあげられなかった。
なんて冷たい娘だったんだ。
コメント