終活。
重いよ、重いよ。そのワード。
今年の夏に教え子さんが韓国にドバーっと一時帰省してすっかり時間ができたので、エンディングノートを書いたわけですが、
その時に色々と調べていると気になる本に出会いました。
もっと、重いよ、重いよ・・・
家族じまいって何やねん?な方のために簡単に説明しますと、
家族という関係性から一度離れてみること。
私にはもう実の両親は他界してしまって、この世にいないけど、家族じまいをしたいろんな人のストーリーを読みました。
例えばね、
幼いころ別れた父親が痴ほう症になった。
連絡が来て面倒を見てほしいと。
身寄りは私しかいないようだ。
でもずっと離れていて音信不通だったのに。
正直、面倒を見たくない、私にも私の家族がある。
もう自分の手で負えない。
だから業者に頼んで、
父の面倒を見てもらった。
介護施設を探してもらった。
父が死んだら連絡してもらった。
納骨もしてもらった。
私は骨すら拾いたくないのだから。
それを読んですごく衝撃的でした。
私は母を20歳の時に、父を36歳の時に亡くしました。
父の時は、私は双子の息子を妊娠、出産して3週間後に父はこの世を去りました。
韓国に住んでいたたわけですが、2人の兄がいたので父の闘病生活は兄にかなり負担がいってしまいました。
特に父と同じく大阪に住んでいた2番目の兄ことA兄、兄の奥さんは本当によくしてくれました。
実はA兄と父は折り合いが悪かったのに、それでも最期まで父のために看病したり、役所の手続きなどしてくれたA兄。
今思えば兄も自分たちの家族があるし、
父には子供時代からの不満で、はっきり言って父のこと大嫌いだったから面倒なんて見たくなかったと思います。
よく父を、私たちを家族じまいしなかったな・・・と。
自分と子供と妻のことだけ考えて暮らそう。
1年にも渡る父の闘病生活で
精神的にも苦しかったA兄はそう思わなかったのかなと。
あれから5年。
私も長男のK兄も東京に住んでいて、A兄と会うこともほとんどありません。コロナもあって、お墓参りに大阪に戻ってもA兄に会いに行くことなくなりました。
なぜか年始の挨拶もA兄の奥さんにだけラインをしています。
僕は年始にAお兄さんへメッセージ送ってるよ!
そんな状況の私たち兄妹。
色々と考えます。
これでいいのかな。
もちろん兄たちと完全に切ってしまったわけではありません、どこかでつながりが残っている感覚も感じられます。
私の考える家族じまいとは
単純に家族を整理することや縁を切ることではなくて、
触れずに済むことには触れずにやっていくこと。
もちろん向こうも。
兄も私の夫、子供たちに触れてこない。
そんな距離感です。
家族だからって無理して仲良くしなくていいんです。
そんなことを考えさせられた1冊でした。
家族だって相性はあるよね。
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