お母さんなんて大嫌い!
そう叫びながら泣く人を見て
母への複雑な思いを持っているのは
私だけじゃないんだなと知り、
それからは母との仲を聞かれたら
母とは折り合いが悪かった、
母のことは苦手だった、
母が嫌いだった、
そんな表現をしていた私。
けど「お母さんなんて嫌い」と認めただけで
私はまだまだ母へ反抗しているだけなんだと気づきました。
40過ぎてもまだ反抗期。
それもぶつけたい母はもうこの世にいない。
この世にまだ母がいたら
過去のつまらない言い合いや
傷つけられた母の言動を責められたでしょうか。
それとも話すことさえ諦めて、
とことん遠くに逃げて絶縁状態だったかもしれない。
父と兄はとっくに
母を美化することに成功し、
「生まれ変わってまた会いに来ないかな」なんて言うほど。
父と兄だって母と決して仲が良かったわけじゃないのに、
(父とは離婚すると毎日のように喧嘩してた)
死んだ途端、
母のいいところだけ思い出せる男達が羨ましいし、
そうできない私のしつこさが嫌になります。
しつこいところは母にそっくり。
このまま40にもなって
ああしてほしかった、
あんなこと言わないでほしかった、
なんて子どもじみた母への思いを持ち続けて、
50,60歳と生きていくかと思うと
ぞっとします。
いい加減、解放したい。
結婚したら、
子どもができたら、
親がなくなったら、
歳を取ったら、
過去の親への恨みつらみを葬ることができると思ったのに。
そもそもなんでここまで母への憎しみが大きくなったかも
もう分からない。
あのとき20歳だった私、
私はまだ20歳のときの不満げな目で
母を睨んでいる。
そんな姿をそろそろ解放したい。
それが今母となって息子を育てる私にも
20年以上も娘に睨まれ続ける母にも必要。
重い腰をあげて、
やっと今PCに向かえました。
少しずつ振り返って書いて行こうと思います。
もちろん他のことも書くよ。
気が向いたら書くね。
水仕事の多い母も手が荒れていた。
最後、病室で頭をなでられた時も母の手は乾燥していたのに、
私はクリームを塗ってあげられなかった。
なんて冷たい娘だったんだ。
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