大阪に帰ってました。
3年ぶりやねん。
今回の大阪帰省の目的はね、
父の七回忌。
七回忌は故人が亡くなってから
6年が経過した後の命日に行われます。
(今回は命日の前だった)
私は以前、ブログで書いたように
死んでも
なーんもしないでね派。
お墓もいらない、
お葬式もいらない、
法事もしなくてもいい。
ただ燃やして海に撒いてと日々、家族に話しています。
しかし父K雄は違った。
自分が癌で余命半年だと分かって
すぐ、終活をスタートしました。
葬式はここでしてくれだの、
遺影はこの写真にしてくれだの、
法事にはみんな必ず参加してくれだの、
葬式代のお金も置いとかず、
(むしろ借金を残して!)
注文だけ言って、この世を去っていった。
葬儀場の人とお葬式の相談をしているとき、
我々、3兄妹の意見は分かれました。
父がこうしてほしいと言ってましたので…
父の望む葬式を叶えてあげようとする長男K兄。
いや、死んだら一緒や。
残された者の負担にならんようにしようや。
お金のことを考えて現実的な次男A兄。
その間で
お葬式なんてどうでもいいと思っていた私。
そのとき双子の息子を産んでまだ3週間ほど。
母乳育児だったので乳が張って死ぬほど痛かった。
韓国に置いてきた
乳飲み子ハンとソロが心配でたまらない私は、
父が他界してすごく悲しいけど
現実問題、早く韓国に帰りたいとばかり思っていました。
だから、
父の葬式のために我々3兄妹がもめるのも、
父が借金を残して死んでくのに
いっちょ前に
高価な葬式をリクエストして死んでったことに、
父ちゃんやってくれたな。
頭の中はそればっかり。
父がリクエストした遺影の写真も
データがどこにあるのか探すのに苦労したし、
(父はただ「韓国でウナギ食べた時の笑顔の写真」だけ書いてた。)
借金は相続放棄すれば、
私たち子どもが返す必要はないのに
「家は思い出やから売らんといてくれ」
謎の呪縛めいた遺言のせいでK兄が律儀に
(ボロボロの)家を相続したもんだから
借金返済までついてきたのです。
兄嫁ねねちゃん…、
信じられないって顔してたよ?
それから6年ですよ。
結局、お葬式はK兄がひとりで払うと言って
父の望み通りのお葬式になりました。
父の看病や葬式などでひと悶着あり
相変わらず一切、口をきかないK兄とA兄。
そんなんで集まって法事をする意味って?と思いましたが、
父の姉である伯母はポツリと言いました。
Kちゃん(父)も
みんな集まってくれて喜んでるわあ。
※伯母も兄たちの不仲を知っています。
そ、そ、そうなの?
自分の死後、息子たちは仲が悪くなって
七回忌でも一切口をきかない、
それでも集まってくれて嬉しいの?
父ちゃん、仲違いした息子たちのこと
どう思ってるんやろうなぁ…
そんなことを考えながら
七回忌を終えました。
次回は十三回忌。
6年後、私は47歳。
K兄は50歳、A兄は48歳。
50近くになった私は
おばちゃん化して
「あんたらいい加減に仲直りしいや」と言えるだろうか。
今は兄が怖すぎて言えない・・・
36歳の時に父が他界。
残された2人の兄と私の関係は良好とはいえない。
今回の大阪帰省の新幹線で再読した『家族終了』。
兄達は生きてるけど
なんだか遠い存在になってしまった。
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